発見!太田道灌と豊吉稲荷の謂れ

一口のことは久御山町の図書館へと。

カウンターでイモアライと神田の稲荷との関係を知りたいと、尋ねると司書の方と何故か館長までもが出てきて調べていただく。分かりました、神田淡路町の「一口太田媛稲荷神社」につながるイモアライの神社は『ふるさと歴史散歩』~久御山の社寺 ~阪部五三夫著にちゃんと書かれていた。またしても阪部先生に助けられる。要約すると太田道灌の娘さんが重い疱瘡にかかった時、疱瘡に霊験あらたかなオヤシロがあるということで使いを送り祈願して祈祷の幣を持ち帰った。するとあ~ら不思議その娘さんの疱瘡が見事に治ったという。その霊験に感謝し、江戸城内に一口稲荷を勧請したという昔語り。その後家康の江戸城改修により神田駿河台の坂上に移されたという。どうも芋洗沼と呼ばれていた巨椋池の水が疱瘡によく効いたらしい。その霊験あやたかな一口のオヤシロが豊吉(ほうよし)稲荷神社なのだと阪部先生は教えてくれた。

栄町からはるばるチャリンコに乗って行ってきました。川沿いの道を行くと東一口、道を行くと山田家住宅の威容が見えるがそこで迷う。道沿いではなく細い路地を入ってぐるぐるしてやっと見つける。古事を裏付けるように豊吉稲荷神社の石碑は現在の太田姫稲荷神社の宮司さんの揮毫によるものだった。

これで話はおしまいなのだが、西一口の廃寺の方も気になって行ってみる。廃寺跡には六地蔵がある筈だったが探しても見あたらず。古城の方に尋ねると「さぁこのあたりには無いですねぇ。私嫁にきてるから」と40歳くらいの方。久御山町の古地図によるとこの古城という場所には元湊があったはずで、地図では「鼻」になっていた。その地図に何故か延喜式という文字が見える。延喜式美豆御牧なのか、延喜式に載るような寺か社があったのか新たな疑問が…。

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