記憶に残るもの

何日か前の新聞に皇太子殿下(今の天皇)が忘れてはならない日が4っつあると語っておられたという。6月24日、8月6日、8月9日、8月15日だ。後ろの3つは分かるが6月24日がわからない。それほど沖縄戦終結というのは今の我々にとっては遠い。一度だけ観光で彼の地へ行ったことがある、普天間基地、ひめゆりの塔、辺野古地区…。テレビで声高な反対運動ばかり見ていたからだろうか どこの場所にも日常がありくたびれて見えた。

ラジオで1995年の録音のひめゆり学徒隊だった方の話を聴いた。米軍に追われ傷病兵を置き去りにし、沖縄南部の竪穴に逃げ込んだ話。その竪穴で暮らしていた先住の方を追い払った話、その場ではもう傷病兵が担ぎ込まれることもなく やることは水汲みと伝令くらいだったこと。そして突然「どこへ行ってもいい」と、学徒隊の解散を告げられたのだと。そこからどこかへ行くことは死ぬことと同じ。それでも解散会をやろうと歌のうまい生徒が浪花節を歌ったという、生徒同士のひとときの連帯。その直後、米軍に竪穴が見つかって投降をよびかけられるが、誰も出ていこうとしなかったこと。そして爆弾が投げ入れられ気がつけば…1週間まさに死と隣合わせにその穴に居たこと。きれいなことは話さないと話者の方が言っておられたとおり戦慄の話だった、会社帰りの電車の中でその話を直立不動で聞いた。

その後、彼女は教員として子どもたちを教える立場になり、映画「ひめゆりの塔」を見るために引率しなければならなった。そして、あの竪穴のシーンにくると当時の記憶が蘇ったのだという。蘇ったのは匂い。耐えられない匂い。最も強烈な記憶は匂いなのだと。いかに凄惨な場所でも目を瞑れば逃れることができる耳を塞げば怖さは和らぐ、だが匂いはそういうわけにはいかないのだと。

酸鼻という言葉があるように、むごたらしい場面の匂いというのは救いようが無い。いままで漫然とオキナワの悲劇を遠目で見ていたが、彼女の話を聴いてその救いようのない悲惨さの一端を知ることができた。これからは6月24日を忘れずにしたい。

アガパンサス

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